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プロフィール

べいだ~

Author:べいだ~
~まずは挨拶~

「たまにかくにっき」管理人のべいだ~です。
このにっきを見てくださってありがとうございます。
現在のべいだ~最新ジャグリング動画です。
なかなか長い(7分半)作品ではありますが、お時間ありましたら是非ご覧下さい。↓
りょこうじゃぐりんぐpart3 「E・Z・O(えぞ)」



べいだ~です。
ジャグリングについてのにっきのはずだったんですが。
脱線します。
…いや、元々レールなんてないんですけどね。

時にはレールが無いと迷いすぎて寂しくなりますね。



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こんばんは。またこんな時間に。


最近妙にテクストを吐きたくてしょうがない。


これはきっと寂しいからなんでしょうな。



なんて弱いんだろうねぇ。



テクストを吐くのにMacbook Air がほしいいいいい
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最近バイト漬けでつまらない。

大学生はもっと自由じゃなきゃなぁーーーー




…「大学生は自由じゃなきゃいけない」という議論は、ある人としたことがある思い出の議論である。
こんばんは。
こんな時間に。


寂しいというのはどんな状態でしょうか。



人に囲まれていても寂しいときはある。


寂しさというのは、思い込みかもしれない。


「今自分は本当は一人なんだ」
と自分で積極的に思い込むことかもしれない。



だから度が過ぎれば被害意識でもあるのだろう。
「一人だ一人だ」と。


やがてそれは力に変わる。


「こんなに寂しいのは誰かが自分をのけものにしているからだ!」
という結論に達する。




これは、ダークサイドだ。

やがて怒りに変わって、他者への攻撃にかわるのだ。


しかし正の力に転じることもある。


「一人だけど、一人だからこそもう他人の目を気にせずがんばろう」
と一線を越えるのだ。



それは正の力。



どちらも強い力だ。



しかしどちらも寂しいことに変わりはないんだよなぁ。






…などと。
欠乏感で寂しくなると
なんだかしんみりしたことを書きますね。
こんな時間だす。
べいだ~だす。




今日先輩と話をしていて、

おそらく初めて
「『にわか議論』って不毛だな」と思った。

目的を持たずに「僕はこう思う」という意見をぶつけあう議論は、あまり良くないなと思った。



議論がくだらないと言っているわけでは無い。

議論の楽しさはいい。
間違ってはいけない。議論は楽しい。
つまらないなんてことはないとおもう。
分野が違うだけで、みんな多かれ少なかれ議論をしている。(というのも偏見か…議論が別に好きじゃない、という人がいることも十分わかっている。だからもうそういうふうに自分の好みを押し付けるのはいい加減やめたい。)


しかし、実質的にその議論が現実に還元されないといけない。

でないと、口角泡を飛ばして必死で説いた内容すら忘れて結局いつもの状態に戻ってしまう。



議論というのは(教育や政治についての意見でそうあることが多い気がします)
「皆は気づいておらぬが、これがやはり由々しき問題なのですな、ははぁ」
ということが非常に多い。

そういうのは、自分が言いたいことを言っているだけで、いわばストレス発散に近い。



何度も言うが、悪いわけではない。
そういうにわか議論が唾棄すべきものであるとは
一向に思っていない。


しかし、所詮ストレス発散はストレス発散であって、限界までミクロに閉じた世界である気がする。



だから
実の無い議論など無駄なのかもしれない。




今までも「議論なんてしょうがない」と言われたことはあった。
「そんなこたあない」と頑張って抵抗していた。



だが今日は、
それも有り得るなということを
なぜかじんわりと実感した。





こうやって
またちょっと自分が変わったのだ。
目的語じゃなくて直接補語ですね。


ふう
どうも、朝です。



イタリア語で、目的語を動詞の前に置くのってなんだかなれないなぁと思っていたら、日本語だってそうじゃん、と気づいた。



あーはー。
なんだかんだで、その人のことで悩むような人物がいるっていう状態は



いいことだな。



自分を映す鏡だ。
なんだか書かなきゃいけない気がする。

べいだ~です。

引き続き、「べーだー」でも「べいだー」でもありません。
べいだ~です。




今日は色々ありまして。

朝起きたのが9時でして。
OMG
9時25分に新宿なのに。
OMG



ごめんちゃー








さて今日は後輩の演技を見てきました。
皆成長したなぁ。
まだまだ荒削りな部分はあるから、あとは衣装とか、細かいところに気を配るようになればいいんじゃないかな。
しかし、こうやって公の場で発表する機会が増えて、どんどん大きくなっていってくれればいいと思います。


文化祭では頑張って下せo(^-^)o





なんか書こうと思ったけど書けないな。


私はものを表現する程度をうまく調節できないのでして、うーむ、あまり下手に書いてはいけない。
私は火山ですよ。


どーーーん






すくなくとも今日はmixiに関する
考えを変えた日ではあります。



やるかどうかは別問題ですけどー




まぁまぁ、
わかりましたよ、今の自分の心情が。

「仲間外れ」感でやっかんでいるわけですね。

パソコンをうまく使えないお父さんと
同じ心境ですね。

「なんだこれは、みんなよってたかってパソコンパソコンと…くだらん!!」


自分がコミットできないものを嫉んでいる感じ。




うーん、頑固なおやじですよわたしは。



まぁ、とにかくそのうちやりはじめるんだろうな。

さていつになるやら
春休みに入ってから15時から23時までほぼ毎日のようにアルバイトをしています。

しかし、なんだか時間を無駄にしているように感じる。


パスポートの申請をする時間がなくなったり、考え事をする時間がなくなったり。
時間が経つのが早い。

もうなんだか、常に大事なことをし忘れているような気持ちでいっぱいです。


しかしバイトで時間やお金のやりくりを徐々に自分の力でするようになって、変化したことも少しあります。


それは、

瑣事にとらわれてはなんだか不自由だと思うようになってきたこと。


ちょっとした気掛かりや悩みで留まっていると、いつまでたっても次に進めないんですな。


今まではすぐに立ち止まっていました。

ちょっと気になるあの人の言動とか、ちょっと気になるあの人の今の行動とか。

それをいつも気にしていました。

でも次に進めない。


だから考えるのをやめよう、という方向にはしるわけですね。












しかしまぁ、その考え方の、自分の体質に合わないこと。

瑣事について考えないというのがこんなにも辛いことだったとは。


「瑣事にとらわれる」のが私のアイデンティティだったような気さえします。

なんてアイデンティティだ。





人は変化するものなんですね。

そしてその変化が大きいとき、人は泣いたり悔しがったりとにかく負のオーラをいっぱいに出して、変化のためのエネルギーを発散させるのです。






で、こういうことをなんで書くのかといえば、
うーん、記憶に留めておきたい空なんでしょうね。
で、みんなにこれを読んでもらいたいんでしょう。
そして、何か反応が欲しいのです。
つまり僕は寂しいのです。
俺の話聞いてくれよ誰かぁ、
ということなのでしょう。

しかしそれは賎しいことではなく
多かれ少なかれみんなに存在する、自分を支えるための自己顕示欲なのでしょう。

「話聞いてくれよぉ」は「かっこよくありたい」という性欲と相通じるものでも有るので、これは生きる力なのです。


ジャグリングするのも、とどのつまりは「みんなみてくれよぉ」です。


さて、こういうはなしを書くのに
ツイッターのように流れるメディアではいけない。
なぜなら、こういうことは、教訓を自分に言い聞かせるために何度か見直さないといけないから。


そしてこういうことを考えた、ということがいつまでも残るようにしたいから。

「インターネット上に残すことが『ずっと残す』ということなのか?」という、保守的な態度への反論。いや、一応言っておくと、私もどちらかというとこちらのサイドです。が、もっと本当に大切なことは自分の机の上に有る日記にでも書いておけばいいのです。

しかも、本当に大切なことは、ネット上に書いたところで、そのバックグラウンドをよく知っている人、つまり自分でなければ結局のところ分かりません。
だから、どこに書こうが、同じです。


ネット上に書くことと自分の日記に書くことの違いをあえていえば、それは「モチベーション」の違いです。

僕は、不本意では有るけれどネット上に書くことのほうがモチベーションが高まるので、ここに書いているわけです。


つまり、

メディアと個人的な日記は使い分ければいい。


ということ。



ふう。
ほえます。
べいだ~です。



私はmixiを始める気になれない。

なぜか。

それはなんだかmixiに「違和感」があるから。


それは、何か自分とは異質なものに触れるときの感覚である。
どこがそんなに気に入らないのかと考えてみると、それはひとえにmixiのドメスティック性、つまりなんだか村八分的で日本でしか通用しない感じと、なんだか「皆やってる」感じかもしれない。

「いまどき皆やってる」というのが嫌なのだ。


なんとも古典的な嫌いな理由だが、やはりそういうことなのである。


そして、もしそれでも参加した自分を想像すると、非常に悲しい気分になって来る。


「くだらない集団の輪」に見事にはまってしまったような気分になる。



もちろんそんなことを言ったら色々なところから批判がとぶのは分かっているのだが、何かこの一種格下のものを冷めた目で見るような気分がどうしても拭い去れない。





だがどうせやってしまうのだろうなぁ。



だから、こうやって自分はいつのまにか自分の「信条」を、自分の行動で「くだらないこだわり」におとしめてしまうのだ。




いやだな。

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